七味唐辛子の口上 昔と今

このホームページ訪れる方で、七味唐辛子の口上のことが知りたくておこしになる方が沢山います。

そこで七味唐辛子の口上における、昔と今を語っていきたいと思います。

さすがに江戸明治は生きてもいないし、種にもなっていないのでちょいとわかりませんが、

私の子供の頃(昭和30〜45年)

この頃浅草は人に溢れていました。

浅草観音参道六区はもちろん、ひさご通り、すし屋通りもしかりです。

あの辺に自転車に行こうものなら、親は無論のこと、知らないおいちゃんまでに怒られたものです。

そんな幼少なある日、

父親と散歩をしていると、一人の少年が泣いています。

根がお節介好きな江戸っ子が、そんな光景を放っておくわけがありません。

「おいおい、どうしたんだい?」

と、声をかけられても少年は泣き続ける一方です。

するとおいちゃん。まるで泣き言を通訳するかのごとく語りはじめした。

「何々、父ちゃんの会社がもらい火事に合い、その業火の中、父ちゃん母ちゃんが身体をはってお前を助けてくれた。

か〜どうだい。人情が薄まったこの浮世に偉い親があったもんだね。

てぇしたもんだ。

そんで、父ちゃん母ちゃんはどうした?

そこいらで逢引しているわけであるめぇ?」

野次馬の笑いなど意ともせず相変わらず泣き続ける少年に尋ねる、おいちゃん。

「ふむふむなるほどな〜

焼け出されたときに家財道具は一切置いてきたが、この袋だけは母親が後生大事に担いできたわけだ。

そんで母ちゃんと父ちゃんは?

えっ!瀕死のやけどで虫の息だと。

そんな思いで担いできた荷物をおいちゃんに見せてごらん」

少年は泣きながら、唐草の風呂敷をおいちゃんに手渡した。

慣れた手つきで風呂敷をほどくと、大げさなくらいに驚く。

「おい!これは。

そこいらにあるものと訳が違うぞ、

遠く異国の地はスイス。そこのモンブランって万年筆だ。

三越高島屋じゃなければお目にかかれない代物だ、こりゃ・・・・・

(ここからは柴又の寅さんのような口上 中略)

で、この可愛そうな少年のために、ここは一丁手助けしてやろうや。

舶来の本場銀座に行けば、2,3万は下らぬ代物が、本日今だけ特別の2千円だ。

何々・・、そんな高い値段じゃ後生が悪い。

なら千円かい?

なに〜まだまける?

え〜い、持ってけ泥棒、どうだ500両で」

なんだかんだと売れている。当然のように私の父も買い、私にくれた。

世間をまったく知らない幼子の私は。

「良かったね、あの子」

と言うと、父は笑っていた。

初めて手にした万年筆に浮かれた私は、喜び勇んで家に帰り、早速試書きを。

すると、書けない。

インクが出てこないのだ。

すぐに父に告げ口を。

「あんなのインチキだよ、これ書けないもの」

すると父親が

「あんなのは作り話に決まっているさ。そんなのは分かってることよ」

「じゃあ何で買ったのさ」

「あの口上のデキの良さへのご祝儀だよ。

めったにないモノを見せてもらったんだ、500円くらいやすいものさ」

子供の私にはまさにちんぷんかんぷん。

でも時間の流れの緩やかな頃は、こうゆう人が沢山いたのです。

モノは2の次で、それを売るための掛け合いを楽しんでいたのでしょうね。

今こんなことをやったら、すぐに警察沙汰になってしまいますよね。

このような売り方を泣きバイといいます。

寅さんのような口上や、バナナのたたき売り、これは啖呵バイと言います。

七味唐辛子の場合は特殊ですが、啖呵バイの部類にはいります。

七味唐辛子の口上はもちろん、蝦蟇の油だってなんだってそうです。

解ったような、解らないような古い言葉で語られる、この口上を楽しみにしていたものです。


そんでもって今のお話。

うちの五代目の叔母に訪ねた。

「なんで口上売りをしないの?

あっちの方が売り上げがあがるじゃない?」

「この浅草観音の参道では無理だよ。

あんたが一遍やってみ」

そこまで言われればやぶさかではない。

これでも唐辛子売りの端くれ、それなりの技量は持ち合わせている。

拙いがやってみましょう。

と言う訳で、浅草観音の宝蔵門で腰を据える。

今日は日曜、幸いに天気も良い。ここは一発叔母が泣いて喜ぶほど売り上げをあげてやんべぇ〜。

午前中からぞろぞろと人が、いける。

ほ〜ら早速寄ってきた。

「香りがいいよ?」なんか違和感。

「この七味はねぇ」

通じない、それもそのはず、全部が外人ばかり。

相手が外人じゃ口上などは意味をなさん。

午後に入り、○○旅行のネームプライス、やった日本人の観光客だ。

ほ〜らすぐに寄ってくる。

これが香りが自慢の中辛、香りを楽しんでみて」

などと実際に香りを嗅がせる。

「うわ〜いい香り。中辛を頂戴」

「あいよ。まず最初にいれますは」

「ちょっと!!バスの時間がないのよ!早くして」

と、おばちゃんパワーで押し切られ、朝の意気込みもシュンと萎えてしまう。

万事がこんな感じなのです。

叔母からは

「だから言ったろ」

と言われ、一頻り同感。

本当にみなさんが時間がないのです。つまりは時間に追われてしまっているのです。

お祭りとか時間のあるときには、一夜の楽しみとされる口上も、分刻みのスケジュールで動く観光客には、ただの無駄な時間にしか映らないのでしょう。

あ〜昔の粋な人がいないかな〜。



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